2月号その2

ロビンロイド
ファミリーコンサート!

2月12日(金)、五条少年補導委員会豊園支部のファミリーコンサートを企画しました。
出演はロビンロイドさん。京都では有名な民族音楽の第一人者です。
外人とは思えない巧みな話術と色々な珍しい楽器でたのしいコンサートになりました。

ロビンさんは、我らが尊敬するベーシスト・山田晴三さんの演じるカリンバで共演したりして、何度もライブではお見かけしていましたが、直接お話しするのは初めてでしたが、ステージの上だけでなく、打ち上げも終始その気さくさで、とても楽しいひとときを過ごしました。

実はママは面識があるのです。
もう10数年前になりますが、ロビンロイドさんのカリンバ(親指ピアノ)ワークショップに参加し、ロビンさんに直接カリンバを教授してもらった事があるのです。今でも、そのときにいただいてきたカリンバを居間に飾ってあるのです。

月に一回、京都音楽院でパーカッションのセミナーをなさっておられるらしく、誘われました。
大変興味有るところで、一度参加してみようと思っています。

打ち上げは
会場の洛央小前の
居酒屋「I亭」!
元うどん屋だけあって
うどんが絶品。

バレンタインチョコ!

真綾が手作りに挑戦!!!
さて誰にあげるのでしょうか????

たくさん作っている事に安心したりして。

近頃「友チョコ」って、女の子にあげるのがメインだそうです。
ほっっ!

鳴滝支援学校にて練習!

13日(土)、ソニックの練習場がなかなか取れず、ダメ元で京都市の支援学校にヘルプをしてみたところ、思いがけず快諾。鳴滝総合支援学校を使わせてもらう事になりました。
寒いこども体育館とは大違い!暖房も完備でとてもいい環境で練習をさせて頂きました。
支援学校の子どもたちも数人見学。メンバーが増えればいいのですが。。

ちなみに和馬は受験勉強のため練習は試験終了の3月5日まではお休み!

パーソナルカラー診断!

16日、例の四条の社長さんの会で講演会がありました。

今回の講師は「カラーコンサルタント」の仮山恵美子さん。

写真のとおり、自分のカラー(パーソナルカラー)を判定してもらいました。
パーソナルカラー(似合う色)とは、アメリカのケネディー大統領が選挙出馬時にイメージアップを図るためにネクタイの色、スーツ全体のカラーやイメージなどをコーディネートし、見事大統領選に当選させたことからこのパーソナルカラーの仕事が注目され、1980年代に日本に入り1990年代にブームを起こしました。
現在、第二次ブームが始まり、多くの若者達に注目され始めているそうです。

春夏秋冬の四つの色を胸の前に置き、どの色が顔に合っているかを判定!
この色は目のしたにクマができる。
この色は顔が寂しくなる。
この色はヒゲが濃くなる。
と解説を付けながら参加者一人一人を判定していって下さるのですが
正直、微妙な違いでなかなかわかりにくい!

よくわからんけど、ボクは「サマー」という判定を受けました。
要するに2番目の写真のサマーカラーが似合うそうで、色見本帖みたいなのをいただき、これからは服を買いに行く時はそれを持っていって近い色をさがすといいらしい。

ちなみにこの仮山さん、ショッピングにおつき合いして見立てて下さるそうですが、そのギャラ、3時間2万円

自分で買いに行きます(汗)

この4種類の分類に
判定されます。
この日、ウインターはなし!
パパの判定されたサマーは
通常2割らしいですが
この日は半分近く!

この様な色の服が
似合うそうですが
なかなか着れません。

斜ケーキ!

2月16日はご存じの通り、かの国の将軍様と一緒にパパの誕生日!


我が家ではママが大丸でケーキを買ってきてくれましたが
あけるとこの通り!!

真綾ならまだしも振り回しながら帰ってきたのでしょうか?
悪気があったとは思えませんが。。。

切る時が大変でした!まるで砂の棒倒し。
2切目で崩落!!!

まっっ美味しかったしエエか!!

追悼!重松弘樹くん!

突然の訃報に言葉がでなかった。
なぜ??
2007年ワールドカップでは写真の通り日本代表の司令塔として大活躍。
デンマーク戦で見せた3人抜きゴールは、全世界の電動車椅子サッカー選手の憧れであり目標にもなりました。
彼の父親も全日本チームの監督として大活躍。まさに電動車椅子サッカー界の親子鷹でした。
チームもソニックが選手権大会に出場する前までは3年連続の日本一。その日本一を親子で引っ張ってきたといっても過言ではなかった。その親子に突然訪れた悲劇。前日まで元気に電動車椅子サッカーの練習をしていて、少々体調を崩して。。から一転。
帰らぬ人になってしまったのです。

今年はチームの不調と不運が重なって1部リーグ4位となってしまい、わがソニックと入れ替え戦が3月20日に京都で行われるよていですが、どのように戦えばいいのやら。

23日に奈良までソニックを代表してお通夜に出かけました。
重松監督の挨拶で「あの試合での3人抜きゴールと同じような速さで逝ってしまいました!」の言葉に会場全体が涙に包まれました。
身内以外のお葬式でこんなに泣いたのは生まれて初めて。もしかしたら父の葬儀よりも泣いたかもしれません。

重松監督は、息子の障害がわかって以来ずっと二人三脚で日本のトップに登りつめてきたのに、突然に障害者の父をやめさせられてしまったのです。
どうやらそれを自分に置き換えていたのも、涙が止まらなかった原因かもしれません。

魂の平安と、残された家族の心の平安がありますようお祈りします。

この親子鷹はもう見られません。
重松監督には
しばらく充電期間ののち
和馬達の指導に
でてきていただきたいです。

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