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9月号その2
松茸暴れ食い!
失職していた従弟にようやく就職が決まり、その祝いに彼のヨメと3人で信楽の「松茸暴れ食い!」行ってきました
近江牛めっちゃうまい!!!松茸、バッサバッサと入れてくれる!!もう食えん!!食道まで詰め込んで帰ってきました!
でも歳のせいか、大満足とはいえず、不本意な感じで終了!まあよる年並みに勝てないって感じですね。
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肉も近江牛で めっちゃ美味しかったのですが。 量が食えません!
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訃報!!
幼なじみの青木雅宏くんが亡くなりました。
本当にショックです!
うちの2軒下の路地にすんでおり、生まれたときから中学卒業まで毎日ずっと一緒でした。
子供のころは、うちの父母は「パパ」「ママ」、雅宏の父母は「おとうちゃん」「おかあちゃん」でずっと育ってきました。「おとうちゃん」にも「おかあちゃん」にも、「パパ」「ママ」以上によく怒られたものでした。
雅宏はかなりきつい若年性糖尿病で闘病生活を続けていました。
何度も救急車で運ばれて心配していたことがありました。
20歳頃にめっちゃくちゃ太り、それから半年もしないうちに人相が変わるほど痩せて髪の毛も亡くなってしまいました。
あっという間に目も見えなくなり、白い杖をついて歩いていたのですが見かけてもちょっと声をかけづらい様子で、向こうが気づかないだろうと何度か見送ったこともあるほどでした。
うちの町内から西賀茂へ引っ越してしまって、そんなこんなで疎遠になっていたのですが、先日和馬の入学の記事が京都新聞に載ったのを見た雅宏が、「幼き友より」と題した手紙をくれて以来、メールでのやりとりが再開して、近日ゆっくり会おうという事になっていたところでした。
現在、成徳中学の同窓会の企画が進行しており、ほぼ日にちがきまったので、「なんとかでてこれないか?!」というメールを書いて、さあ送ろうとしていたところにこの訃報が届きました。
送ったら「おかあちゃん」がたまらんやろうと、送信ボタンを押す前でよかったなあと。
お通夜に出席しました。
年30回以上出席している葬儀のうちここ数年で最も参列者の少ない葬儀でした。友人がわずか2名。あとは親戚が10名くらい。
しめやかに執り行われた通夜は、みんな覚悟ができていたよう。
ボクだけ覚悟が出来ておらずに出席しました。
当時かわいがってくれていた二人のお姉ちゃんにも再会し、親戚連もみんな、「しんちゃん!」と歓迎してくださり、偲んでお食事もいただき、帰ってきました。
別れ別れになってからの35年間は全く逆の生活をしていたのがよくわかりました。
15歳までは4月生まれの雅宏と早生まれ2月生まれのボクではなにをやってもかなうものはなく、いつも後をついて歩いていたような気がします。
初めて自転車に乗れたのも、雅宏のおかあちゃんやお姉ちゃんのおかげやし、幼稚園の初めての日に泣いて帰ってきたのも、雅宏が違うクラスになって別の部屋に入れられたからでした。
高校に入ってからは、雅宏は病気がちになり、学校を休んでばかりになり、ひ弱で友人も少なくなって行ったようです。反対にボクは持ち前のやりたがりの社交性がどんどんエスカレートしていき、友人もうなぎ登りに増え、今のクリスマスカード1000件越えに至っています。
糖尿病って恐い病気ですよね。最後は片目は取り出して、もう一方もほとんど見えない中で届いたメールを1センチくらいに近づけて読んだり書いたりしていたよう。ボクからのメールもそうして読んでたんやね。
ボクはただただ悲しくってたくさん泣いてきたけど、家族の皆さんは、雅宏に対して出来ることはすべてしたんやろね。表現悪いけどサバサバしてた感じがしました。それが雅宏が人生を全うしたことを語っていました。
自分がもし今死んだらどんなお通夜になるかな???ボクはまだまだやることがいっぱいありすぎて全うできません。死んでも死にきれないってやつです。
それもこれも人生なのかなあと。
魂の平安と残された家族の心の憩いをお祈りもうしあげます。
芦生ほっこりキャンプ
18日(土)19日(日)と芦生キャンプ場で「ほっこりキャンプ」をしてきました。
毎年、夏のシーズンにプログラムずくめのハードなキャンプをいくつもこなしていますので
なにもプログラムのない、好きなことをして過ごすキャンプをしよう!!が目的です。
今回も好きなように食べて好きなように呑んで好きなように寝てほっこりしてきました。
ようやく秋の気配を感じ、最高の気候でハンモックでお昼寝!!
至福の時でした!!
スカウトの日!
20日はスカウトの日。
京都中のボーイスカウトが1000名以上市役所前にあつまりました。
こんなにたくさんボーイスカウトっているんやね。
式典で集まる制服姿はなかなか壮観でした。
ボクの子どもの時に所属していた18団(あの宮川大輔も同じ団なのです)のリーダー達もきていて
談笑できました。
ボクよりも和馬は有名人。
なにせ一昨年、京都から27年ぶりに障害者スカウトとしてアグーナリーに参加したもので、連盟の
役員さんはみんな声をかけてくださいます。
京都市長もずっと7団の団委員さんをつとめ、娘さんも隊長をしていたような人ですので、閉会式の
挨拶でも「ボーイスカウト大好きな門川です!」が第一声。大受けしていました。
閉会式後、門川市長は、談笑中に和馬を見つけて、「おお!吉村くん!!」と歩み寄ってくださいま
した。みんなに「彼はボクの後輩の堀川高校なんだ!!」と自慢げに紹介してくださり、和馬ははに
かみながらのドヤ顔!!
「ぼくも堀川です!」という京都連盟のおえらいさんにつづいて、ボクも「同じく市長の後輩です!」と
PRしておきました!
講習会大成功!
25日(土)、筋ジス協会京都支部を巻き込んで、電動車椅子サッカーの講習会を行いました。
筋ジス協会で助成事業を行わないといけないものと、ソニックでメンバー募集をしたいのとが、うまく折り合って実現に漕ぎ着けました。
ソニックは現在活動しているメンバーが、ライスチョウ兄弟が渡米してからは7名になってしまい、もう少しメンバーを増やしたいと思っていました。
なかなか見学にきてもらう機会もなかったのですが、今回この募集で3名の子の見学申込がありました。
小学校6年生の子と、中学2年生の子が2人。ちょうどいい年代です。
せっかくの機会なので、他チームを呼んで試合をして、実際のゲームを見て頂きたいと思ったのですが、ちょうどその日は今年のリーグ戦の開始日。6チームが舞洲に集結しており、のこり3チーム。無理かと思っていたら、滋賀のリュートスターさんが自分のところの練習を返上して京都まで来てくれました。
このところ、実戦から遠ざかっており、レギュラーメンバー揃っての練習も出来ていなかったので、練習試合はいい機会になりました。少々連携に乱れがあったものの、9−0で勝ちました。
なによりも、この練習試合をみていただき、そのあと実際に車椅子に乗って体験していただくというプログラムを組んだのですが、見学者がたいへん喜んでくださった事がよかったです。
見学者からもらったお礼メールでは、「まず、練習試合から見学させていただき、イメージが湧いた後に実際に体験させて頂いたのでわかりやすかったです。」とのこと。大成功でした。
最後に輪になってみんな一言ずつお話しました。
リュートのキャプテンMくんの話がとても印象に残りました。
見学者のお父さんのコメントもとても前向きで、とても嬉しかったです!
あとは正式入団のお返事を待つのみ!!手応え十分!!!入団が決まれば追って報告します。
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リュートさんには悪いけど サンドバッグになってもらって 思いっきり!! |
京都新聞に掲載されました。
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9月26日(日)京都新聞朝刊。
先日こども体育館で取材された記事が掲載されました。
ちょうど、文化祭とかの行事がダブって参加者の少ない練習日でしたが、大阪のローリングタートルさんの2選手がゲスト参加してくれていたので格好がつきました。
写真は左側に和馬の横顔、正面に静耶、その右にローリングMくん、右端半分切れて申し訳ないローリング期待の新人Aさんです。
フロント吉村伸となっていますが、代表を先日降りて「フロント」という役職になっています。
「フロント」ってなんかホテルのフロントみたいやけど、わけあってその役職になりました。
というのが、助成金やなんやの便宜上、実務をすべてやっているボクが代表になっているのが都合よかったのですが、電動車椅子サッカー協会の古い規約に「代表は選手登録があるものでないといけない」というものがあり、現在はその表記が消えているものの、トラブルをさけて、選手登録している監督を「代表監督」という役職にして、ボクがその「フロント」という役職になりました。
「事務局長」とか「渉外」とかいろんな候補はあったのですが。。。
新聞記事は、これまで何度も社会面に掲載されているのですが、今回初めて福祉面に載りました。
12面なので、埋もれて見てもらいにくいかともおもっていたのですが、案外見て頂いていたようで、「見たよ!」とメールをいただいたり、声をかけて頂いたりしました。
京都新聞には大変よく取り上げて頂き、感謝しています。一人でもたくさん興味を持っていただけたらうれしいです!
実力を伴わなければ。。。。。。
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